読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

【雑記】「怒る」と「叱る」を混同すること~「あなたのために」「みんながそうだから」と言ってしまう人々~

少し前に、「帰れ」と言ったら、バイトが帰ったという記事を読みました。「若者叩き」としてのエピソードとしては、かなり偏ったものだと思っていたのですが、テレビを見ていたら、同じようなエピソードが取り上げられてて、定番エピソードにでもなってるんだろうかと。
「モンスター新人」と名付けられた新人たちのエピソードをいくつか観ていたら、少し思うところがあったので、メモ書き。

一見、やる気なさそうに仕事場にいるバイトや新人に、「帰れ」と言う。「常識的に」考えると、檄を飛ばすための言葉として、「帰れ」と言っているんですよね。帰られた上司としても、本当に帰ってほしいわけではないと思うんです。
しかし、上司の命令に従わないと怒ってくるのに、実際に、「帰れ」と言われたから、帰ったら怒られた。これ、ダブルバインドなんですよね。

「帰れ」と言われて……
帰る→怒られる。次会ったときの上司の機嫌は最悪なはず。
帰らない→帰らないので、まだ怒られる。謝ったとしても、お互い気分はあまり良くない。

どちらにしても、上司の機嫌を損ねるような気がします。実際に、自分が言われたらどうかなーと少し考えてみたのですが、帰る勇気はちょっとない。でも、「この人は、自分の発言に責任持ってないな」という判断はくだすと思う。たぶん、今後その人の話は話半分で聞くんじゃないかな。曲がりなりにも命令権を持っている人間なのに、考えなしに、感情的に怒っているようにしか見えないんですよね。自分に人に命令を出すことの責任感やその重大さをわかっているのかなと、疑問を持ってしまう。しかも、日本って、「明日から来なくていいよ」というクビ宣告があるわけじゃないですか。その「帰れ」が、「クビ」と捉えられる可能性もあるだろうし。
もちろん、人間は発言のすべてに責任を持てるわけではないですよ。でも、だからって、持っている権力を全く自覚せずに、命令にも近い発言を安易にすべきではないとも思うんです。

「あなたのために」「ここまでしてあげてるのに」の質の悪さ

「怒る」という行為は、往々にして「叱る」と混同されがちです。

おこ・る【怒る】
[動ラ五(四)]《「起こる」と同語源。感情が高まるところから》
1 不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。「真っ赤になって―・る」
2 よくない言動を強くとがめる。しかる。「へまをして―・られた」
おこる【怒る】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

しか・る【叱る/×呵る】
[動ラ五(四)]目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる。「その本分を忘れた学生を―・る」
しかる【叱る/呵る】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

両者の最大の違いは、「よくない点を指摘する」ということがあるか、どうか。本来、上司から部下への態度は、「叱る」が正しいはずです。腹を立てたという態度を見せて、脅しにも似た強い言葉で、相手の気持ちを萎縮させ、行動を制限させることではありません。あまつさえ、その「怒り」を充てられた部下の言動の揚げ足を取ったり、「だから、若い世代は」と決めつけ、同年代や年上との酒の肴にすることでもないはずです。

このような「怒る」という態度には、「あなたのために指摘してあげている」という思いがあるのではないでしょうか。だから、実際に、思いを汲み取ってもらえなかったり、指摘したことを無視するような態度を取られたときに、不満を抱いてしまう。実際に、時間も誠意も割いていると思うので、そう考えるのもしかたのないことなのかもしれません。それでも、自分の発言の影響力や、相手の反応含めて、すべて、「そういうものだ」と受け入れること。そして、どうすれば、相手に自分の意図や気持ちが伝わるのかを考える。それが、「叱るもの」としての誠意なのではないでしょうか。

また、「あなたのために指摘してあげている」という思いは、「裏切られた」と思うことにも繋がります。ここまでしてやったのに、相手は感謝もしていないどころか、恩を仇で返してくる。そう思ったことがある人もいるでしょう。しかし、「元より相手のためになっていたのか」「相手は、恩を感じていたのか」ということを考えることをも放棄しているのと同じなのではないかな、と。

本来、「叱る」という行為は、相手の成長のためにすることです。ですが、その指摘した欠点は、本当に欠点なのか。自分の不快な思いを示すためにやってはいないか。そのようなことを、微塵たりとも考慮しない「怒り」になってしまわないよう、配慮をすることも必要だと思います。

「私がそう思う」を、「将来、あなたが困る」「周りの人が不快に思う」に言い換えること

これも、上記に似たようなものですが、叱る際に、「私は良くないと思う」と言えない人っていうのは、最終的な責任を持ちたくない人なのではないかなと考えてます。
「あなたに言われたから」
そう言われることを避けるために、相手の不利益をちらつかせたり、多数が自分の意見の味方であることを主張して、自粛を求める。脅しにも近いものだと思うんですけどね。まぁ、「私が良くないと思うから~」と言うのも、場合によっては、嫌われるかもしれません。とはいえ、具体的に存在しない他人に責任を仮託したり、恩着せがましいことを言ったりしてくるよりは、誠意ある言い方を模索出来るのではないかと思います。
「自分は、まぁ別に気にしないけど……」と、言葉尻濁すのも同じようなものですね。周り、もしくは対象に察してくれと言っているようなものです。

余談ですが、「人前で、声を荒げて怒る」というのは、周りの人からの目を利用して、自分の怒りの正統性をアピールしているように見えます。また、相手に恥をかかせることを厭わない人って、相手の嫌がることや萎縮することを平然とやる人なんじゃないかな。こういう人に会ったら、そういう風に警戒しても損はない気がします。


私自身は、バイトや学生サークルの上下関係しか持ったことしかありませんが、それでも、自分の発言が、年下相手に大きく影響を及ぼすことがあると知ることはあります。逆に、先輩に、大きな指標を示してもらったことも。
その中で、自分の言葉が、相手に指摘をする・叱るに留まらず、怒りを帯びてしまったこともありますし、相手に対して、脅しにも似たような言葉を投げつけてしまったこともあります。「目をかけていたのに、裏切られた。酷い。」そう言葉を投げつけるのは、簡単です。それでも、一歩踏みとどまって、相手がどうして、そのような言動を取ったのか。こちらの非は、本当になかったのか。そう考えることって、自分の立場を簡単に脅かせない年下相手だと特に放棄してしまうように思うんです。
これから、10年、20年と経ったときに、「これだから、若い世代は」と言うような大人になりたくない。そう考えたときに、何がやれるか。「叱る」という行為を、きちんと誠意と責任を持ったものとして、認識し直すことなのではないかなと思います。