サイコパス2期への期待~「都市と少女」を描く冲方丁~

今日から冲方丁がシリーズ構成を務めるサイコパス2ということで、楽しみにしているところをちょっとした覚書として。
最初に断わっておきますが、アニメは集団制作。冲方丁がシリーズ構成を務めているからこうなるはずだ!とか言う気はないです。サイコパス一期も虚淵玄の名前がピックアップされている一方で、連名で脚本を担当している深見真のファンは、これはどちらかといえば深見真作品に見られるような雰囲気の作品だという認識をしていたようですし。
とはいえ、「常守朱の物語」に冲方丁が関わるという意味で、やっぱり期待してしまうんですよね。

まず、サイコパス一期(今後、一期と書きます)は、「狡噛慎也槙島聖護の物語」なんですよね。これは、冒頭とラストの常森のナレーションが指し示すように、「シビュラシステムにより人間の心理状態や性格的傾向を計測し、数値化出来るようになった社会」から逸脱したところで対話が可能な人物同士の邂逅の物語だった。その中で、常森朱という人物は、最後まで狡噛と槙島両者に向き合い続けていたのですが、最後の対話に関わることが出来なかった。彼女は、最初から最後まで彼らの対話に干渉することが出来なかったんですよね。

常森朱は二人の男の邂逅を見て、自分なりの「答え」を出すのですが、その答えの行く末は描かれることなく終わりました。彼女が出した「答え」がシビュラを中心とした社会にどのような影響を及ぼすのか、また及ぼされるのか。そこが二期の重要なテーマになるのかなと思います。


PSYCHO PASS サイコパス 2 PV「新章、起動。」 - YouTube
「そう、これが新たな始まりだった。私という色を問う、私自身の戦いの」
「社会が必ず正しいわけじゃない。だからこそ、私たちは正しく生きなければならない」

シビュラシステムの一部となった一方で、しかし人間の意思や社会の未来を信じる常森朱が、ラノベ作家としての冲方丁が書いてきた物語に近似した部分があると思うんですね。

一期において、シビュラシステムは、数百にも及ぶ人間の脳を機械的に並列CPUだったと判明しています。常森と槙島は、犯罪計数が上昇しない「免罪体質」の人間ですが、彼らは実のところ、数百の脳では処理が不可能なシステムのブラックボックスにあたる存在だった。槙島は、サイコパスが濁らないことをもって、「社会からはじき出された」経験を持ち、シビュラのない社会に生きる人間を望んでいました。

しかし、常守朱は、社会の混乱を免れるため、シビュラの秘密を守ることを決める。シビュラもまた、システムのブラックボックスである常森朱の利用価値を認め、放置することに。
シビュラの真実に迎合せず、人間が次の社会への手がかりをつかむことを信じ、公安局に残る常守朱は、シビュラシステムから独立しつつも、システムに望まれた動きをする一部になってしまっている。

―都市と少女―
マルドゥック・スクランブル』『シュピーゲル』シリーズなどを執筆してきたライトノベル作家としての冲方丁が描き続けてきた主題のひとつ。

マルドゥック・スクランブル』では、男性型社会を象徴するかのような工業都市・マルドゥック市。市に絶大な影響力を持つ巨大企業に所属するショーギャンブラーに殺され、市の法律『マルドゥック・スクランブル-09法』によって命と武器を手にいれ、企業絡みの陰謀に立ち向かう少女、ルーン・バロット。

シュピーゲル』シリーズでは、極度の少子高齢化と犯罪・テロの猛威に襲われる都市・ミリオポリスと、その猛威の対抗策として、様々な事情から手足を失い、「労働の権利」と共に「機械の身体」を与えられる少年少女が活躍する。『スプライト・シュピーゲル』シリーズの鳳・乙・雛は、「ある意味で、彼女たちこそ都市そのものなのだ。」と称されるほど、都市の在り方と結びついている一方で、「都市が用意した原理を超える可能性」として描かれている。

都市に発生したシステムの一端に飲み込まれつつも、自分の意思を貫き通そうとする少女。
これは、常守朱にも共通するモチーフだと思います。
サイコパスのシビュラシステムは、全世界で行われているシステムではなく、日本で導入されているシステムであり、作中で、それぞれの人物たちは、「この街」という範囲で物事を見ているんですよね。世界ではなく、社会もっと小さな範囲の都市。
その都市に敷かれたシステムにどのように向き合うのか。

法律は先人たちのより良い社会でありたいという祈りが込められている。そう語った常守朱がどのように描かれるのか。
今日からの放送、とても楽しみです。