『セーラームーンR』シリーズ感想

先日の『美少女戦士セーラームーン』ニコ生一挙放送をきっかけに、ここ3週間ぐらいで『セーラームーンR』見てました。
いやー、面白かった。私、女児向けアニメが見れない人間なので、最後まで見れるか心配だったのですが、特に問題なかったです。
女児向けアニメが見れないってどういうことかっていうと、子どもの視点をまんま映されることに耐えられないんですよね。すぐ、「こうすればいいじゃん」とか思っちゃうし、安直な勘違いで話が進行していくと、とても恥ずかしくなるんですよね。落ち着いて見てられない。
「この年齢にしたって、もっと上手くやれば出来たんじゃないの?」と思うシチュエーションそのものが苦手です。もう少しどうしようもない勘違いやすれ違いならわかるんだけれども。余談ですが、アンジャッシュのコントとかは好きです。


というわけで、子どもだけの視点になってしまう女児向けアニメが見られない。ところが、『セーラームーン』シリーズは案外見れる。*1どうしてなのかなーって思ったんだけど、敵のあやかしの四姉妹やエスメロードが20代だからだと思うんですよ。実際の年齢はわからないんですけど、慕っている男性がいて、綺麗に着飾ることを覚えている「お姉さん」なんですよ。
で、そんな20代のお姉さま方が、セーラー戦士をディスっていくわけです。
「ぺちゃぱい」「彼氏もいないくせに」「お尻も胸もぺったんこ」
……この発言がすでに年食ってるんですよね。セーラー戦士なら中学生なので、「まだこれから大きくなるもん!」とか言えるんですよね。でも、敵方の彼女たちはここから別に、大きく成長したりしない。あとは、メイク術とかでカバーしていくだけ。セーラー戦士同士でも、「あたしの方が可愛いわ!」「太るわよ」って軽口をたたくんですけど、若さを羨むとか、他人を貶めて、自分をあげたいとかはないんですよね。無理のない可愛さへの自信がある。
美少女戦士セーラームーン」て聞いて、「まさかの自分で美少女とかww」って思う人がいるかもしれないけど、あれは「そういう設定」ではなくて、彼女たちが「あたしは可愛い!」って信じるお調子者だから成り立ってるんですよ。
一方で、敵は、未来の東京の結界になるポイントに根付く「女の子のピュアな心」を折りに来ていて。*2 『R』は、女の子の愛や可愛いを信じる心と、そういうものに対するオトナの疑念がぶつかる話でもあると思うんですよね。

『アニメのかたろぐ』で、無印のシリーズディレクターを務めた佐藤順一監督が、原作と『R』は3~5歳よりも上の年齢に向けて作っているって話をしているらしいのですが、これは観ていて、かなり実感しました。
例えば、まもちゃんは高校生ではなく大学生ですよね。で、彼のもう一つの姿・タキシード仮面のキザな台詞に敵方は悪態つくわけです。敵方からすれば、同年代の男が、「若い女の子の肌はピチピチしてフレッシュだ」「砂糖菓子は乙女の夢が育む芸術」とか言い出すわけですよ。「ごちゃごちゃとうるさい男だ」「やけにキザなやつ」とか言いたくもなるよね。タキシード仮面の登場シーンだけ抜き出してる動画とか、MADとかありますけど、あれ抜き出されてるから気づかないだけで、ちゃんと作中でツッコミというフォローをしているわけです。

『トップ2!』3巻の特典映像で、『S』から参加する榎戸さんが、作中で、「でたぞ!理論値マイナス1兆2千万度と言われる冷凍光線!」ってセリフのあとに「そんな熱量は物理的に存在しない!何が起きるんだ!?」ってツッコミを入れたって話をしてるんですけど、ありえないようなことや下手すればドラマから浮いてしまうセリフを、ツッコミで上手く馴染ませることに成功してると思うんですね。『セーラームーンR』では、こういうのを上手く敵方がやっているわけです。おかげで、中学生としてのときめきがそこまで失われずに済む(多分)。*3


オトナになった今でも見られる『セーラームーンR』、「愛の行方」が大きなテーマになっているように思いました。
シリーズ序盤の「魔界樹編」は、TVオリジナルストーリーなのですが、シリーズの核心とも言えるかと。この「魔界樹編」では新鮮なエナジーを求め、地球にやってきたエイルとアンは、セーラー戦士たちと戦います。彼らは、二人とも「エナジーを奪うことでしか自分たちと魔界樹は生きられない」と考えていて、特にアンはかなり嫉妬深い性格なんですよね。愛されるには、「愛を奪うしかない」と考え、地球人として恋した相手・まもちゃんに猛アプローチをする。
しかし、エナジー集めに、恋にと邁進した彼女の努力は叶わず、魔界樹は暴走。しかも、うさぎちゃんを懸命に庇うまもちゃんの姿を目の当たりにしてしまう。そこで彼女は、愛とは奪うだけのものではないということを知るんですね。与えることも必要だと。結果、魔界樹の暴走からエイルを庇い、倒れてしまう。
そして、魔界樹から、エイルとアンは魔界樹が生み出した生命体であり、彼らの祖先は魔界樹を愛し慈しみ、魔界樹はエナジーを与えるという形で共存してきたということが明かされました。しかし、いつのまにか、彼らは魔界樹のエナジーをめぐって争い合うようになり、彼らの故郷である星を壊してしまった。
つまり、「愛を与えることを忘れ、もらう・奪うことしか考えていなかった」のがエイルとアンだった。最後は、セーラームーンの力によって、魔界樹は浄化され、エイルとアンは、新しい星で、芽になった魔界樹を「愛のエナジー」で育てることを決意します。

13話かけて描かれた「奪う愛」と「与える愛」はそのまま、原作準拠*4の「ブラックムーン編」でも描かれることに。
ここでかなり強調されたのは、「うさぎちゃんがいてくれるから、ひとりじゃない」だと思うんですよね。これ、無印でも言ってたと思うんですけど、この言葉が最終決戦で、すごく強い力を持つ。
幾原監督は、『映画 セーラームーンR メモリアルアルバム』で、「どうして、月野うさぎが主人公で、お姫さまで、周囲の人に愛されているのか」ということに言及していて、それは、彼女が自分の存在をもって、他人の愛や気持ちに報いているからだと発しています。劇場版で、周りに疎外されていた時に、屈託なく接してくれたうさぎちゃんを回想しながら、セーラー戦士が立ち上がるシーンがあるのですが、この回想にあるようなシーンをたくさんやってきたのがTVシリーズの『R』なんですよ。
セーラー戦士たちは、ところどころで、「うさぎちゃんが友達でよかった」と言ったり、うさぎちゃんがいるから敵を信じて行動したりするんですよね。特に、32話の美奈子ちゃんが、風邪を引いたうさぎちゃんに「(看病してくれるのは、)私がプリンセスだから?」と聞かれたときに、「ううん、大事な友達だから。うさぎちゃんといるとほっとするの、元気になるの」と答えるのが印象的でした。月野うさぎはいるだけで、周りに元気を与えてくれる、誰かを信じたり、好きだと思ったりする気持ちを与えてくれる。動力源みたいなものなんですよね。
そんなうさぎちゃんと未来の彼女の愛を信じられなくなってしまったちびうは、敵の幻影に惑わされ、ブラック・レディへと変身してしまいます。39話のアバンで、うさぎちゃんがちびうさに向けて、「お願い、思い出して。みんながあなたを愛していたことを」と言っているのですが、後年幾原監督が作る『輪るピングドラム』の核心にあたる部分だなと思いますね。まぁ、それは今回置いておくとして。
シリーズ後半からうさぎちゃんはずっと、ちびうさのことを気にかけ続けていて。守ってあげなきゃ!っていう母親心に目覚めているんですよね。セーラー戦士たちも、ちびうさが大事なのはもちろん、うさぎちゃんが必至だから頑張っているんじゃないかなと思ったり。そういう愛情深さが、彼女が未来のクイーンたる由縁であり、敵方の心をも動かしていくことになる。
そして、クリスタルトーキョーの侵略を始めたブラックムーン陣営とはみな和解することに。誰かの何かを無理やり奪わなくても、満たされた人生を送ることが出来ると知るわけですね。特に、プリンス・デマンドは、ネオ・クイーン・セレニティに執着し、セーラームーンの唇を奪おうと必死になっていたりするのですが、無理やり奪うだけでは何も手に入らないと知り、自分を唆したワイズマンの攻撃からセーラームーンをかばいます。そして、ブラックムーン一族のことをセーラームーンに託して、絶命。
『R』の敵は大体、うさぎちゃんを好きになるのですが、それもまた彼女の愛情深さによるものだと感じました。

というわけで、劇場版も含めて、「月野うさぎの愛の流転」が『R』のひとつのテーマなのかなと思います。


ここからは少し余談。
実は、「魔界樹編」「ブラックムーン編」の両方とも、「生活環境において、資源が著しく少ないため、他から強奪するしかない」という動機があるんですよね。エイルとアンは、魔界樹のエナジーの枯渇に苦しみ、プリンス・デマンド率いるブラックムーン一族は、太陽からあまりにも遠いネメシスに住み、過酷な環境下で、人工物で細々とした暮らししかできなかった。
結果、どちらも、「うさぎちゃんからの愛を受け取ることで、彼らの状況が好転する」ので、資源の取り合いをしなければ生きていけないという状況自体が消去された形になるんですね。このエナジー(銀水晶)を奪うことを目的とした闘いは、エネルギー戦争とも言い換えられるのではないかと。
『S』から脚本として参加する榎戸洋司さんが、『キャプテン・アース』の公式ガイドブック(小冊子)にて、遊星歯車装置を「他人からエネルギーを奪わなければ生きていくことができない」と説明し、ライブラスターについて「命を燃やす銃」「宇宙で唯一、無限のエネルギーを発生させることができる」と言及しているのですが、これ、『R』の敵方と、「銀水晶」にも当てはまる言葉だと思うんですね。うさぎちゃんの「愛」や「命」を燃やし、無限のエネルギーを放出する水晶。『R』の敵たちは、うさぎちゃんを介して、銀水晶のエネルギーをもらって生きながらえる。その流れを「アクチュアルなテーマ」として引き継いでいるのが、『キャプテン・アース』なのかなと思いました。

*1:実のところ、直視できない回ってのもあって、R7話の『衛とうさぎのベビーシッター騒動』とかはハラハラしてた。大学生とはいえ、まもちゃんだって子育て経験ないんだから、「うさぎちゃんママに預けようよ……」ってずっと思ってました。

*2:10年後にニキビやしわが酷くなる化粧品売りつけるとか、カップルが別れる原因になるアイスとか、けっこうやってることエゲつない。

*3:少女漫画でもフキダシの外やコマとコマの間に作者のツッコミコメントや注釈がついているんだけど、同じような効果を意図してのものかなと思う

*4:無印からそうなんだけど、TVA版セーラームーンは結構改変が多い。一応、原作の話を元にしているよという意味での「準拠」です。