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【感想】面白さに裏打ちされた過酷さと温かみを知る『アニウッド大通り』

 アニメが好きだ。
 キャラクターが好きで、彼ら、彼女らが生きる世界観が好きだ。そこから飛び出る台詞ひとつに人生を、魂を揺るがされる。この世のどこかにあるかのように物語を扱うアニメファンたちは、なぜか時折「作り手」の話をする。漫画やアニメを現実以上に愛しているにも関わらず、それらは創作にすぎないということを再確認するような行為だ。なのに、しぶしぶではなくとても楽しそうに生き生きと語る。もちろん、敬意をはらうという意味もあるだろう。でも、それ以上にこんなことを思う。

 漫画やアニメが好きな人間は、「面白さ」にあらがえない。そして、作り手の人生という物語もまた例外ではない。
 物語と同じように、誰もを引き込み、魅了する情熱と才能、そして、くすりと笑ってしまうような滑稽さが創作者にもある。だから、ふとした創作者のエピソードにファンは奮い立つような気分にさせられるのだ。

『アニウッド大通り』は、作り手の魅力をこれでもかというぐらいに見せつけてくれる。
本作は、『機動戦士ガンダム』や『超時空要塞マクロス』など、メジャーシリーズが次々と出てきた80年代(ビデオの普及と共に初のOVAも誕生している)を舞台とした、新進気鋭のアニメ監督とその家族の物語だ。「オタク版三丁目の夕日」と銘打たれており、当時の雰囲気ならではのマニアックなネタから今でも通用するオタクネタが盛りだくさんとなっている。
 エンターテイメントが日々めまぐるしく変化していく賑やかな雰囲気に隠れてはいるが、家族の日常は決して順風満帆ではない。どうやら家計はあまり芳しくなさそうであるし、一家の大黒柱(?)たるお父ちゃんは、一度アニメ作りに没頭したら現場から帰ってこない。それでも、お父ちゃんや子どもたちの面白さを作る試みやおかたんの度量の深さに明るい家庭が支えられている。本作に感じる絶妙なバランス感と魅力はそこにあるのではないだろうか。

 お父ちゃんこと真駒監督は身体をガタガタにし、重たい足を引きずりつつも作品の完成へと突っ走る。その深さと暗さには畏怖すら感じられる。なぜ、そこまでしてアニメを作らなければならないのか。
 冒頭にあげた漫画アニメファンと同じだ。彼もまた「面白さ」を求めている。そして、自身の子どもたちにその「面白さ」とは何かを見せたいのではないか。

 父のアニメ作りのせいで、家族は一般的な幸せから遠のいている。しかし、父の創作によって、家族は常に面白さに身を浸している。
 だから、読者は真駒一家から目が離せない。どこにでもあるような日常を面白おかしく過ごさせる力が創作にはある。漫画やアニメを日々楽しむ人々には当たり前で、わかりきったことだ。それでも、何度でも噛みしめたいことなんだと、『アニウッド大通り』を読んでいると思う。

2014年TVアニメ10選

コメント全くないですが、2014年のうちに一覧だけあげておきます。

今年、特にオリジナルでいい作品多すぎて、選出するのが特に大変でした。ギリギリまで悩んだし、キャプテン・アースは2話も入れたかった(笑)
コメントはまた後日入れることにします。


1. Free-Eternal Summer- 12Fr 異郷のスイムオフ!
2. バディ・コンプレックス完結編 あの空に還る未来で 後編
3. 残響のテロル #11 「VON」
4. 凪のあすから 第24話「デトリタス」
5. 少年ハリウッド 第6話「雨の日の居場所」
6.スペース★ダンディ シーズン2 第20話「ロックンロール★ダンディじゃんよ」
7.Wake Up,Girls! #9「ここで生きる」
8.僕らはみんな河合荘 第8話「うれしぬ」
9.ピンポン 第6話「お前誰より卓球好きじゃんよ!」
10.キャプテン・アース 第25話「キャプテンアース」

サイコパス2期への期待~「都市と少女」を描く冲方丁~

今日から冲方丁がシリーズ構成を務めるサイコパス2ということで、楽しみにしているところをちょっとした覚書として。
最初に断わっておきますが、アニメは集団制作。冲方丁がシリーズ構成を務めているからこうなるはずだ!とか言う気はないです。サイコパス一期も虚淵玄の名前がピックアップされている一方で、連名で脚本を担当している深見真のファンは、これはどちらかといえば深見真作品に見られるような雰囲気の作品だという認識をしていたようですし。
とはいえ、「常守朱の物語」に冲方丁が関わるという意味で、やっぱり期待してしまうんですよね。

まず、サイコパス一期(今後、一期と書きます)は、「狡噛慎也槙島聖護の物語」なんですよね。これは、冒頭とラストの常森のナレーションが指し示すように、「シビュラシステムにより人間の心理状態や性格的傾向を計測し、数値化出来るようになった社会」から逸脱したところで対話が可能な人物同士の邂逅の物語だった。その中で、常森朱という人物は、最後まで狡噛と槙島両者に向き合い続けていたのですが、最後の対話に関わることが出来なかった。彼女は、最初から最後まで彼らの対話に干渉することが出来なかったんですよね。

常森朱は二人の男の邂逅を見て、自分なりの「答え」を出すのですが、その答えの行く末は描かれることなく終わりました。彼女が出した「答え」がシビュラを中心とした社会にどのような影響を及ぼすのか、また及ぼされるのか。そこが二期の重要なテーマになるのかなと思います。


PSYCHO PASS サイコパス 2 PV「新章、起動。」 - YouTube
「そう、これが新たな始まりだった。私という色を問う、私自身の戦いの」
「社会が必ず正しいわけじゃない。だからこそ、私たちは正しく生きなければならない」

シビュラシステムの一部となった一方で、しかし人間の意思や社会の未来を信じる常森朱が、ラノベ作家としての冲方丁が書いてきた物語に近似した部分があると思うんですね。

一期において、シビュラシステムは、数百にも及ぶ人間の脳を機械的に並列CPUだったと判明しています。常森と槙島は、犯罪計数が上昇しない「免罪体質」の人間ですが、彼らは実のところ、数百の脳では処理が不可能なシステムのブラックボックスにあたる存在だった。槙島は、サイコパスが濁らないことをもって、「社会からはじき出された」経験を持ち、シビュラのない社会に生きる人間を望んでいました。

しかし、常守朱は、社会の混乱を免れるため、シビュラの秘密を守ることを決める。シビュラもまた、システムのブラックボックスである常森朱の利用価値を認め、放置することに。
シビュラの真実に迎合せず、人間が次の社会への手がかりをつかむことを信じ、公安局に残る常守朱は、シビュラシステムから独立しつつも、システムに望まれた動きをする一部になってしまっている。

―都市と少女―
マルドゥック・スクランブル』『シュピーゲル』シリーズなどを執筆してきたライトノベル作家としての冲方丁が描き続けてきた主題のひとつ。

マルドゥック・スクランブル』では、男性型社会を象徴するかのような工業都市・マルドゥック市。市に絶大な影響力を持つ巨大企業に所属するショーギャンブラーに殺され、市の法律『マルドゥック・スクランブル-09法』によって命と武器を手にいれ、企業絡みの陰謀に立ち向かう少女、ルーン・バロット。

シュピーゲル』シリーズでは、極度の少子高齢化と犯罪・テロの猛威に襲われる都市・ミリオポリスと、その猛威の対抗策として、様々な事情から手足を失い、「労働の権利」と共に「機械の身体」を与えられる少年少女が活躍する。『スプライト・シュピーゲル』シリーズの鳳・乙・雛は、「ある意味で、彼女たちこそ都市そのものなのだ。」と称されるほど、都市の在り方と結びついている一方で、「都市が用意した原理を超える可能性」として描かれている。

都市に発生したシステムの一端に飲み込まれつつも、自分の意思を貫き通そうとする少女。
これは、常守朱にも共通するモチーフだと思います。
サイコパスのシビュラシステムは、全世界で行われているシステムではなく、日本で導入されているシステムであり、作中で、それぞれの人物たちは、「この街」という範囲で物事を見ているんですよね。世界ではなく、社会もっと小さな範囲の都市。
その都市に敷かれたシステムにどのように向き合うのか。

法律は先人たちのより良い社会でありたいという祈りが込められている。そう語った常守朱がどのように描かれるのか。
今日からの放送、とても楽しみです。

【感想】『10DANCE』が描く魅惑の関係性

『10DANCE』を見ていると、つくづくBLが好きだなと思う。

BLと一言に収めたところで、そこには様々な作品があって、あらゆる欲望が渦巻いている。しかし、BLの醍醐味は、奪い合うようなキスから始まる大胆なベッドシーンといっても過言ではない(たぶん)。そこには、男同士のあふれる色気が集約されている。

『10DANCE』には、そういったベッドシーンは2巻時点ではまだ見られない。しかし、ベッドシーンに相当する色気を放つシーンとしてのダンスが描かれ、間違いなくBL読者の要求に応える絵が描かれている。

10DANCE 1 (バンブー・コミックス  麗人セレクション)

10DANCE 1 (バンブー・コミックス 麗人セレクション)

鈴木信也(すずきしんや)と杉木信也(すぎきしんや)はそれぞれソシアルダンスのラテンとスタンダードの日本チャンピオン。名前は似ているが正反対の二人は親同士からして犬猿の仲。しかし、杉木からの提案によって、それぞれがお互いのダンスを教え合い、10種類のダンスで競う「10DANCE」に挑戦することに。それぞれのダンスの違いに戸惑いつつも、お互いの距離は縮まって…! ?話題のダンスBLコミック、待望の第1巻!

帯には「本格ダンスコミックスではない」と書かれているが、本作ではダンスの説明(色っぽい!)もかなり入る。作中で杉木が講釈するスタンダードのダンスにおける「リード/フォローの役割」は、「男女」の説明でありながら、彼らの関係性を描いているように読める。

BLの「攻め受け」もまた「役割としての男女」を意識させるからだろう。
守る側と守られる側。主導権を握る側と握られる側。しかし、どちらか一方が、どちらか一方に見返りの少ない愛を注ぐということではない。不平等性ではなく、返ってくることを前提として愛を示す行動をしている。それは、『10DANCE』で描かれるダンスの役割・リード/フォローを見れば一目瞭然だ。

リード―男性は女性を際立たせる影役に徹し、フォロー―女性は華のように美しく踊る。
スタンダードのダンスにおけるこの関係性は、一見女性の方が美味しい役割のように見える。しかし、実際は、首の動きや女性のドレスの開き具合、女性の動きのすべてを男性が操作しており、今後の動向を握るという意味では男性優位でもある。しかし、男性側が身体を捩じり厳しい体制で踊るフォローを優しく、それでいて力強くリードしなければフォローはついてこない。

スタンダードのダンスにおいて、「男性/女性の方がいい」という言葉はない。一切が対等だ。女性は男性のリードなしにはホールドの姿勢を保てず、男性は女性をきちんとリードし、美しく輝かせることで役目を果たすことが出来る。
両者が両者の役割に敬意を抱き、お互いのために最大限の動きをしなければ、魅力あるダンスは成立しない。相手の領域に踏み込んでまで相手を思いやったり、相手から与えられることに甘えて、自身のやるべきことを疎かにしたりしてはいけない。目的ある関係性は、両者の役割を最大限に果たすことで、強化される。


もちろん、これは男女の物語でも読める要素だろう。しかし、『10DANCE』では、ラテンダンサーの鈴木信也とスタンダードダンサーの杉木信也が、お互いのダンスを教え合うため、リードとフォローを入れ代わり立ち代わりで演じる。結果、「リード/フォロー」の役割はお互いの中でさらに深い領域で認知され、より魅力的な関係性を模索し、奮闘する姿は艶っぽく映る。


鈴木は、杉木に対して独占欲や征服欲がありラテンダンサーらしい色気を放つが、杉木は鈴木に対して、憧れや尊敬を抱いており、その素振りをスタンダードのダンサー(紳士)らしくその素振りを誠意的に見せる。
しかし、それぞれがお互いのダンスを踊ることで、相手への好意表現を変えなければならない。まったく違うタイプの男同士が、お互いの好意表現を覚える、伝えることを試みるシーンが常に見られるというのも本作の魅力だろう。


その関係性の何がいいかって、その超えてはいけないお互いの領域が手を合わせた瞬間にピタリと合ってしまうところであり、お互いのことを自分の半身のように捉えてしまうところなのである。
自分とぴったり合う身体は、もう自分そのものだ。しかし、依存することなく自分自身を保てている。そういう関係が私はとても好きだ。そして、その関係性を艶っぽいものとして描写してくれるBLが好きだ。

『10DANCE』が描く魅惑の色気と、身体がぴたりと融け合う男二人をぜひご堪能あれ。

『キャプテン・アース』最終話に寄せて~真夏ダイチに内包された「キャプテン」という運命の此方から彼方を思う~

「僕がキャプテンかどうか、僕にはわからない。でも、空から来るアイツは止めなきゃ!」
そう言って、ロボットに乗り込んだ少年は、
「僕がキャプテン・アースだ!」
そう確信を得て、地球に帰ってきた。
そんな彼が見上げる銀河はどうしようもなく美しかった。


監督の五十嵐卓也と脚本の榎戸洋司は、無配小冊子にて『キャプテン・アース』をこう総括している。

榎戸 現代的な主人構造を模索して思いついたのが、日常生活の中で、すでにロボットのパイロットになる要素が内包されている少年、でした。主人公のダイチは、地球が星間戦争に巻き込まれていると知る前から、すでに、アースエンジンのドライバーになる直感のようなものがあった。”あるべき自分”の姿を直感している男の子の物語、を描くのは、今、現代的かもしれない、というのが僕の直観です(笑)。
――もう少し詳しく伺えますか?
榎戸 それまで自分とは関係がいないと思っていた世界に、思い切って飛び込んでみると、そこで自分にできることが見つかったり、あるいは違う世界が見えてきたりすることがある。それってワクワクするし、実はリアルな話だと思うんすよ。日常生活に対する不満を起点にしながら、そんなふうに世界が広がっていく様を冒険として描けないかな、と。
――夏休みを使って、自動車の免許を取りに行く、というのに近いんでしょうか。
五十嵐 そうそう(笑)。今の子供たちって、選択できることがすごく多いと思うんです。どれでも選べるという状況が目の前にあるなかで、どれを選ぶかは本人の意思になる。例えば第1話のダイチには、種子島に行くか、友達や女の子と一緒に旅行に行くかという選択肢がある。結果的に彼は、種子島に行くという選択をするわけですけど、それは結局、偶然なんですよね。でも、後で振り返ってみると、そのときに下した選択が彼の中ではある種の必然として捉えられる。「あのとき、車の免許を取りに行ったのはこのためだったのか」ということが、あとでわかる。そういう見方ができる物語になればいいな、と。
榎戸 合宿で免許を取りに行ったら、そこで走り屋のお兄ちゃんと知り合って。ドリフトを教えてもらったら、「お前、筋がいいな」って言われて、走り屋になって、そのままプロのレーサーになっちゃう……みたいな(笑)

真夏ダイチの手は、キャプテンとしての運命を内包し、彼に必要なものすべてを選べる。彼の直観や決断は、とにかくスマートだ。射撃の腕はまったくあがらないのに、必要なときに必要な的をドンピシャで当ててしまう。最初から答えしか掴まず、あらゆる理由や原因は、後からついてくる。そういうところが、かっこよくてたまらない。


そんな彼のひと夏は、榎戸洋司の作品を追ってきたファンは特にたまらなかったはずだ。
少女革命ウテナ』のファンとして、「あの時ウテナからすり抜けてしまった手」を強烈に覚えている。

どこかに落ちゆく手がつかめれば、確実にその人を救えるわけではない。事実、あの時のウテナは、確かに棺の中からアンシーを解放した。それでも、あの手が掴まれていたら……ということを夢想してしまう。
あの作品を見て以来、「何かをつかむ」という行為に弱い。心の奥底の弱点を突かれたような気になってしまう。その姿さえ見せてくれれば、もうそれだけで十分だと思ってしまう。


そうそう、『ウテナ』のあとに見た、五十嵐・榎戸タッグ初作品『桜蘭高校ホスト部』はちょっとした衝撃だった。

「桜蘭高校ホスト部」Blu-ray BOX

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アニメオリジナルで描かれた作品の終盤が、男装女子であるハルヒが、ホスト部の部長・環(王子様!)を学園に引き戻す話だったからだ。しかも、「バイパス」を通って*1
作品はホスト部お決まりの挨拶で終わり、彼らの関係性やホスト部そのものが永続する象徴のように描かれる。何だか、お姫様を救う王子様を無事連れもどした鳳学園のようにも取れる。

榎戸さんが関わる多くの作品には、「全能感」というワードがついてまわる。これは、作品によって少しずつ違う形で描かれるが、いくつかのインタビューを読んで、総括するとこんなようなものなのだと思う。

全能感――選ばれし者が持つ特別な力の源。欲したものがすべて手に入ってしまうことへの恍惚感、そして、失ったあとには輝くもの、過去の時間に対する追体験願望の象徴となる。

作品内の具体的な言葉で言えば、「光さす庭」「エキゾチックマニューバ」「メロスの戦士」「トップレス」なんかがそれにあたるだろう。
能力そのものや、選ばれたことによる肩書、またはかつての思い出。様々な形で、全能感は描かれる。
そして、特に重要なのは、それらには「卒業」がつきものということだ。

榎戸 子供は全能感の夢を持つものだろうな、と思うんですよね。たとえばディズニーランドとか遊園地とか映画とか、そういう娯楽はみんな、魔法の世界を疑似体験させてくれるものであるわけです。サンタクロースを信じさせなんていうのも、そういったものの一つだと思うんです。それらの夢は、決して子どもの成長には悪いことじゃなくて、善いものとして機能しているんですよ。ただ、そんなことを本気に信じている大人がいると、それはやっぱり大人ではない、ってことなんですね。だから、どこかで僕は、今度は子供に信じていても安全な世界から、今度は子供に信じさせてあげる大人のそばにいかにシフトしていくか、というか、シフトさせていくための装置になれば良いかな、とか思っています。P.217 『comic 新現実Vol.3』

Comic 新現実 Vol.3 (単行本コミックス)

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私が、榎戸洋司が関わる作品が好きなのは、サンタクロースを本気で信じていたあの頃を思い出すからだと思う。輝かしい過去の追体験(大した思い出はないのだが、子どもの頃というのは、もうそれだけで何か輝くものがどこかにある、たぶん)。そして、その魔法を卒業した切なさにも酔いしれたりするわけだ。
それでも、その郷愁に必要以上に酔うな、拗らせるな。その恍惚感によって自分を見失うな(ビーパパス!)。というのが、榎戸さんが関わる作品から読み取れるメッセージのひとつだろう。
だから、アニメ版『ホスト部』のラストで、あえて「取り戻す」形にしたのはやっぱり印象的だった(当時、原作未完結だった『ホスト部』の場合は、「この段階ではまだ卒業すべきではない」というのがあったのだろうけれど)。。何よりホスト部のメンバーは、「選ばれし者」であることにまったく酔っていなかった。


そんな『ホスト部』の王子様(作品的には、「殿」と呼ぶのが正しい)須王環を演じた宮野真守氏が、『スタドラ』の主人公を演じたことによって、ちょっとした関連性を見ようとしてしまう。
これはひょっとして全能感に狂わなかった王子様がさらに掘り下げられている話なのではないか、と。

STAR DRIVER 輝きのタクト Blu-ray BOX

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『スタドラ』の有名な台詞のひとつに、ヘッドの「何が綺羅星だよ、馬鹿馬鹿しい!」がある。彼は、自分こそが、「全能感(作中では銀河美少年や外の世界でサイバディに乗れる者)を使いこなす者」だと思いこみ、「全能感に焦がれる者」を馬鹿にしている。しかし、実際は彼こそが全能感という感覚に振り回されてしまっていることを裏付けるようなセリフになっている。
一方で、「全能感を使いこなす者」としてタクトが描かれている。彼は、「やりたいこととやるべきことが一致した者」であり、誰にも見えない景色が、「見えている」。狂わなかった王子様だ。
ヘッドになくて、タクトにあったものって何だろうか。たぶん、「より素直に現実を認められるセンス」なんじゃないかと思う。

つまりね、いい女とかいい男は人間性が高い、というのが僕の持論で、さいとう先生はそれを作品と自身で体現してる方なんだよ。
~中略~
人間性の高さというのは、その必要条件として、まず現実をより素直に認められるセンスの高さがいるのだと思う。理解の深い奴はすなわちやり手なわけだから、セクシャリティは高い。
『花冠のマドンナ』2巻末エッセイ「セクシャリティの構造」

榎戸さんは、さいとうちほ先生の『花冠のマドンナ』にこんなエッセイを寄せ、さいとうちほ作品の魅力や『花冠のマドンナ』のヒロイン・レオノーラを解説しつつ、「ウテナにめざしてほしかったもの」を語っている。しかし、ここで言及されている「センス」は、何もウテナだけに求められたものではない。
タクトの「現実をより素直に認められるセンス」は、選ばれし者特有の能力をも制御の内に置く。ラストでワコが、タクトにあっさり自分のサイバディを破壊させるのもセンスあってのことだろう。あの場面で、お互いにしたいこと、やれると確信する能力の高さ、潔さがあの宇宙の夜明けへと繋がっている。


そして、「より素直に現実を認められるセンス」は、『キャプテン・アース』で未来視にも似た直感を発現させているんだと思う。
一話で、「どうしたらいいんだ」と嘆くところから、一気に「僕に何が出来る!?」って問い返す彼を見て、確信した。真夏ダイチの手は、彼が掴もうとするもの、すべてを掴める。
最終回まで見て改めて言えることなんだけど、やっぱり、あのセリフって、「僕なら何かが出来る」って前提がある。ダイチは、それまでの人生や日々の不満から、「キャプテンの運命が内包されている」ことを直感している。でも、答えまでのピースが足りない、目の前の少女はそのヒントを握っているはずだ。でなければ、この場所で会っているはずがない。そういう情報処理を行った上で、問いかけている。そして、問いかけと同時に出現したライブラスターが手元にあることが一つの回答になっている。

より素直に現実を認められるということは、情報処理速度が高いということだ。理由は上手く説明できないけれど、答えだけを引き寄せてしまう能力。これは、ミッドサマーズナイツ全員が共通して持っている能力でもある。逆に言えば、だからこそ彼らは、自身の感情を後回しにしがちで、チームに会うまで孤独だったとも言える。ダイチは、キルトガングを迎撃するためアースエンジンに乗り込んだ時に、「二度も死にかけて怖くないのか!」って聞かれて、「怖いです。だって僕ただの高校生ですよ」って答えるし、ハナは、ダイチ以外は干渉できないブルーメに入る決意をあっさりする。テッペイにしても、アカリにしても同じだ。彼らは、未来を信じて、その場で一番いいと思える決断をする。

キャプテン・アース」である真夏ダイチは、今までの榎戸洋司が描いてきた主人公たちの挫折や魅力を一挙に背負っていると思う。彼の一挙一動が、台詞がいちいち胸を打つ。最っ高にかっこよかった。毎話、毎話、惚れ惚れした。好きで好きでたまらなかった。

前作『スタドラ』でタクトが、「ああ、すごいな。でも僕たちは、これとは違うもっとすごい空をきっと見るさ」と言っていたけど、実はあまり信じられなかった。もちろん、彼らはあの最終回以降、南の島から出て新宿行ったりなんかして、きっともっとすごいことをやるんだろう。でも、一視聴者からしたら、「宇宙の夜明け」以上の景色があるのかって。青春真っ只中の銀河美少年だから出てくる台詞なんじゃないの?榎戸さんが繰り返し言及している全能感とどう違うの??正直、そんな疑念が湧いてしまうほどに、『スタドラ』の「空」は素晴らしかった。

でも、そんな疑念を簡単に真夏ダイチは、ふっ飛ばしてしまった。オーストラリアに来た彼が、「初めての海外なのに、任務のついでなんて……」と言っていて、ハッとした。宇宙に飛び立ち、地球防衛戦に参加している彼は、ただの高校生だった。
真夏ダイチにとっては、宇宙の景色は特別ではないし、ただの過程でしかない。ライブラスターの引き金を引くぐらいに自然なこと。あのときのタクトも同じようなことを考えていたのかもしれない。過程で観た景色である以上、当然違う景色だって見られるだろう。そして、どの景色を見るかを選ぶことが出来る。
真夏ダイチにとっての特別は、種子島の風、テッペイやハナ、アカリがいる景色、そして、地球から見上げた宇宙だった。

アンシーが出て行った学園の外にはこんな広い世界があって、タクトが見た凄い空とはもっと違うすごい銀河がある。
「キレイな銀河だな。やっぱり僕はこの星から見上げる宇宙がいっちばん好きだ」
キャプテン・アースが最後に帰ってくる場所に選んだのが、この世界だったことが何よりうれしくて、愛おしかった。



キャプテン・アース VOL.2 初回生産限定版[Blu-ray]

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*1:『劇場版ウテナ』では、出口だと思っていた城がハリボテだとわかった後、影絵少女が「左にバイパスが見えるわ!」「そこで降りて、元の世界に逃げるのよ!」と言っている。バイパスというワードは2回出てきて、一つ目は、箱庭の出口を示し、二つ目は、元の箱庭世界への帰り道を示している

『セーラームーンR』シリーズ感想

先日の『美少女戦士セーラームーン』ニコ生一挙放送をきっかけに、ここ3週間ぐらいで『セーラームーンR』見てました。
いやー、面白かった。私、女児向けアニメが見れない人間なので、最後まで見れるか心配だったのですが、特に問題なかったです。
女児向けアニメが見れないってどういうことかっていうと、子どもの視点をまんま映されることに耐えられないんですよね。すぐ、「こうすればいいじゃん」とか思っちゃうし、安直な勘違いで話が進行していくと、とても恥ずかしくなるんですよね。落ち着いて見てられない。
「この年齢にしたって、もっと上手くやれば出来たんじゃないの?」と思うシチュエーションそのものが苦手です。もう少しどうしようもない勘違いやすれ違いならわかるんだけれども。余談ですが、アンジャッシュのコントとかは好きです。


というわけで、子どもだけの視点になってしまう女児向けアニメが見られない。ところが、『セーラームーン』シリーズは案外見れる。*1どうしてなのかなーって思ったんだけど、敵のあやかしの四姉妹やエスメロードが20代だからだと思うんですよ。実際の年齢はわからないんですけど、慕っている男性がいて、綺麗に着飾ることを覚えている「お姉さん」なんですよ。
で、そんな20代のお姉さま方が、セーラー戦士をディスっていくわけです。
「ぺちゃぱい」「彼氏もいないくせに」「お尻も胸もぺったんこ」
……この発言がすでに年食ってるんですよね。セーラー戦士なら中学生なので、「まだこれから大きくなるもん!」とか言えるんですよね。でも、敵方の彼女たちはここから別に、大きく成長したりしない。あとは、メイク術とかでカバーしていくだけ。セーラー戦士同士でも、「あたしの方が可愛いわ!」「太るわよ」って軽口をたたくんですけど、若さを羨むとか、他人を貶めて、自分をあげたいとかはないんですよね。無理のない可愛さへの自信がある。
美少女戦士セーラームーン」て聞いて、「まさかの自分で美少女とかww」って思う人がいるかもしれないけど、あれは「そういう設定」ではなくて、彼女たちが「あたしは可愛い!」って信じるお調子者だから成り立ってるんですよ。
一方で、敵は、未来の東京の結界になるポイントに根付く「女の子のピュアな心」を折りに来ていて。*2 『R』は、女の子の愛や可愛いを信じる心と、そういうものに対するオトナの疑念がぶつかる話でもあると思うんですよね。

『アニメのかたろぐ』で、無印のシリーズディレクターを務めた佐藤順一監督が、原作と『R』は3~5歳よりも上の年齢に向けて作っているって話をしているらしいのですが、これは観ていて、かなり実感しました。
例えば、まもちゃんは高校生ではなく大学生ですよね。で、彼のもう一つの姿・タキシード仮面のキザな台詞に敵方は悪態つくわけです。敵方からすれば、同年代の男が、「若い女の子の肌はピチピチしてフレッシュだ」「砂糖菓子は乙女の夢が育む芸術」とか言い出すわけですよ。「ごちゃごちゃとうるさい男だ」「やけにキザなやつ」とか言いたくもなるよね。タキシード仮面の登場シーンだけ抜き出してる動画とか、MADとかありますけど、あれ抜き出されてるから気づかないだけで、ちゃんと作中でツッコミというフォローをしているわけです。

『トップ2!』3巻の特典映像で、『S』から参加する榎戸さんが、作中で、「でたぞ!理論値マイナス1兆2千万度と言われる冷凍光線!」ってセリフのあとに「そんな熱量は物理的に存在しない!何が起きるんだ!?」ってツッコミを入れたって話をしてるんですけど、ありえないようなことや下手すればドラマから浮いてしまうセリフを、ツッコミで上手く馴染ませることに成功してると思うんですね。『セーラームーンR』では、こういうのを上手く敵方がやっているわけです。おかげで、中学生としてのときめきがそこまで失われずに済む(多分)。*3


オトナになった今でも見られる『セーラームーンR』、「愛の行方」が大きなテーマになっているように思いました。
シリーズ序盤の「魔界樹編」は、TVオリジナルストーリーなのですが、シリーズの核心とも言えるかと。この「魔界樹編」では新鮮なエナジーを求め、地球にやってきたエイルとアンは、セーラー戦士たちと戦います。彼らは、二人とも「エナジーを奪うことでしか自分たちと魔界樹は生きられない」と考えていて、特にアンはかなり嫉妬深い性格なんですよね。愛されるには、「愛を奪うしかない」と考え、地球人として恋した相手・まもちゃんに猛アプローチをする。
しかし、エナジー集めに、恋にと邁進した彼女の努力は叶わず、魔界樹は暴走。しかも、うさぎちゃんを懸命に庇うまもちゃんの姿を目の当たりにしてしまう。そこで彼女は、愛とは奪うだけのものではないということを知るんですね。与えることも必要だと。結果、魔界樹の暴走からエイルを庇い、倒れてしまう。
そして、魔界樹から、エイルとアンは魔界樹が生み出した生命体であり、彼らの祖先は魔界樹を愛し慈しみ、魔界樹はエナジーを与えるという形で共存してきたということが明かされました。しかし、いつのまにか、彼らは魔界樹のエナジーをめぐって争い合うようになり、彼らの故郷である星を壊してしまった。
つまり、「愛を与えることを忘れ、もらう・奪うことしか考えていなかった」のがエイルとアンだった。最後は、セーラームーンの力によって、魔界樹は浄化され、エイルとアンは、新しい星で、芽になった魔界樹を「愛のエナジー」で育てることを決意します。

13話かけて描かれた「奪う愛」と「与える愛」はそのまま、原作準拠*4の「ブラックムーン編」でも描かれることに。
ここでかなり強調されたのは、「うさぎちゃんがいてくれるから、ひとりじゃない」だと思うんですよね。これ、無印でも言ってたと思うんですけど、この言葉が最終決戦で、すごく強い力を持つ。
幾原監督は、『映画 セーラームーンR メモリアルアルバム』で、「どうして、月野うさぎが主人公で、お姫さまで、周囲の人に愛されているのか」ということに言及していて、それは、彼女が自分の存在をもって、他人の愛や気持ちに報いているからだと発しています。劇場版で、周りに疎外されていた時に、屈託なく接してくれたうさぎちゃんを回想しながら、セーラー戦士が立ち上がるシーンがあるのですが、この回想にあるようなシーンをたくさんやってきたのがTVシリーズの『R』なんですよ。
セーラー戦士たちは、ところどころで、「うさぎちゃんが友達でよかった」と言ったり、うさぎちゃんがいるから敵を信じて行動したりするんですよね。特に、32話の美奈子ちゃんが、風邪を引いたうさぎちゃんに「(看病してくれるのは、)私がプリンセスだから?」と聞かれたときに、「ううん、大事な友達だから。うさぎちゃんといるとほっとするの、元気になるの」と答えるのが印象的でした。月野うさぎはいるだけで、周りに元気を与えてくれる、誰かを信じたり、好きだと思ったりする気持ちを与えてくれる。動力源みたいなものなんですよね。
そんなうさぎちゃんと未来の彼女の愛を信じられなくなってしまったちびうは、敵の幻影に惑わされ、ブラック・レディへと変身してしまいます。39話のアバンで、うさぎちゃんがちびうさに向けて、「お願い、思い出して。みんながあなたを愛していたことを」と言っているのですが、後年幾原監督が作る『輪るピングドラム』の核心にあたる部分だなと思いますね。まぁ、それは今回置いておくとして。
シリーズ後半からうさぎちゃんはずっと、ちびうさのことを気にかけ続けていて。守ってあげなきゃ!っていう母親心に目覚めているんですよね。セーラー戦士たちも、ちびうさが大事なのはもちろん、うさぎちゃんが必至だから頑張っているんじゃないかなと思ったり。そういう愛情深さが、彼女が未来のクイーンたる由縁であり、敵方の心をも動かしていくことになる。
そして、クリスタルトーキョーの侵略を始めたブラックムーン陣営とはみな和解することに。誰かの何かを無理やり奪わなくても、満たされた人生を送ることが出来ると知るわけですね。特に、プリンス・デマンドは、ネオ・クイーン・セレニティに執着し、セーラームーンの唇を奪おうと必死になっていたりするのですが、無理やり奪うだけでは何も手に入らないと知り、自分を唆したワイズマンの攻撃からセーラームーンをかばいます。そして、ブラックムーン一族のことをセーラームーンに託して、絶命。
『R』の敵は大体、うさぎちゃんを好きになるのですが、それもまた彼女の愛情深さによるものだと感じました。

というわけで、劇場版も含めて、「月野うさぎの愛の流転」が『R』のひとつのテーマなのかなと思います。


ここからは少し余談。
実は、「魔界樹編」「ブラックムーン編」の両方とも、「生活環境において、資源が著しく少ないため、他から強奪するしかない」という動機があるんですよね。エイルとアンは、魔界樹のエナジーの枯渇に苦しみ、プリンス・デマンド率いるブラックムーン一族は、太陽からあまりにも遠いネメシスに住み、過酷な環境下で、人工物で細々とした暮らししかできなかった。
結果、どちらも、「うさぎちゃんからの愛を受け取ることで、彼らの状況が好転する」ので、資源の取り合いをしなければ生きていけないという状況自体が消去された形になるんですね。このエナジー(銀水晶)を奪うことを目的とした闘いは、エネルギー戦争とも言い換えられるのではないかと。
『S』から脚本として参加する榎戸洋司さんが、『キャプテン・アース』の公式ガイドブック(小冊子)にて、遊星歯車装置を「他人からエネルギーを奪わなければ生きていくことができない」と説明し、ライブラスターについて「命を燃やす銃」「宇宙で唯一、無限のエネルギーを発生させることができる」と言及しているのですが、これ、『R』の敵方と、「銀水晶」にも当てはまる言葉だと思うんですね。うさぎちゃんの「愛」や「命」を燃やし、無限のエネルギーを放出する水晶。『R』の敵たちは、うさぎちゃんを介して、銀水晶のエネルギーをもらって生きながらえる。その流れを「アクチュアルなテーマ」として引き継いでいるのが、『キャプテン・アース』なのかなと思いました。

*1:実のところ、直視できない回ってのもあって、R7話の『衛とうさぎのベビーシッター騒動』とかはハラハラしてた。大学生とはいえ、まもちゃんだって子育て経験ないんだから、「うさぎちゃんママに預けようよ……」ってずっと思ってました。

*2:10年後にニキビやしわが酷くなる化粧品売りつけるとか、カップルが別れる原因になるアイスとか、けっこうやってることエゲつない。

*3:少女漫画でもフキダシの外やコマとコマの間に作者のツッコミコメントや注釈がついているんだけど、同じような効果を意図してのものかなと思う

*4:無印からそうなんだけど、TVA版セーラームーンは結構改変が多い。一応、原作の話を元にしているよという意味での「準拠」です。

【感想】『魔法科高校の劣等生』原作既読ファンが紹介する、原作補完としての『魔法科』SS

今回は、『魔法科高校の劣等生』の二次創作SSを紹介します。
今放映中のアニメだけではわからない『魔法科』原作の魅力が存分に詰め込まれ、わかりやすく咀嚼されています。
現在、Pixivとハーメルンの2つのサイトで公開されているようですね。ハーメルンは、ルビ付きなので、こちらの方がオススメです。
魔法科SSシリーズ
イラストコミュニケーションサービス[pixiv(ピクシブ)]

こちらのSS、原作未読でアニメだけ視聴している方や、原作をまだ全部読んでいないという方もぜひ読んでほしい!ということで、少しばかり解説をしたいと思います。
と、その前に少しだけ深雪さんのビジュアル面について。原作版の深雪さんは、「その場にいるだけで注目を集めずにはいられない」「稀有な美少女」です。九校戦編では、その美しさと圧倒的な魔法力から男女問わず熱心なファンを獲得し、会場中を魅了するのですが、アニメ版ではそういった描写がほとんど削られている上に、「美しい」というよりは、「可愛い」なんですよね。原作版読者としては、かなり物足りないですし、あのビジュアルでこれから紹介するSSを読むと、違和感を覚えるかもしれません。
どれぐらい違うかというと、魔法科、特に深雪さんの熱烈なファンのSBSさんが描かれたイラストを拝見するとわかりやすいです。

正直、右側の「理想の深雪さん」の方が、原作小説のイメージに近いですね。

こちら「動く深雪さん」も、蠱惑的でドキドキしますね。初めて見たとき、「そうだよ!深雪さんは、おしとやか、かつ控えめな(だけど、美しすぎて逆に色気が漂う)微笑みを浮かべるし、一方で、お兄様に対して、小悪魔的な上目づかいをするお人なんだよ!!」と納得感しかありませんでした。
深雪さんは、常人離れした艶めかしい美しさを持ちつつも、高校生なりの幼さや可憐さも持ち合わせているお方で、でも、その年相応さが垣間見れるのは兄関連のことだけ。それが、ギャップになって、彼女の神秘的な美しさに深みを与えていると思うんです。

閑話休題
まずは、原作も交えて、個人的にオススメの読む順番を。(アニメで追っている方も同様に読んで問題ないかと思います)
特に年齢制限などはかかっていないですが、性的表現がやや濃い作品もあります。苦手なジャンルがある方は、ページの前書きを参照していただければと思います。

入学編上下

魔法科SSシリーズ - 1. いつまでも初恋のときめき

魔法科SSシリーズ - 4. 無防備な妹
こちらは、入学編時点での深雪さんと達也さんのお互いへの心情を細かく書いてあるので、原作補完として読めるSSになっています。原作を読む前に予習として読んでもOKかも。

九校戦編&夏休み編+1

魔法科SSシリーズ - 3. ある一人の犠牲者について
深雪さんにベタ惚れしてしまった一科生の話。『夏休み編+1』の「会長選挙と女王さま」を踏まえると、よりわかりやすいと思います。
魔法科SSシリーズ - 6. 好きな人の欠点
美人描写に定評のある魔法科の中でも、「主要メンバーの中では普通」「ある程度整った顔立ち」と称される達也さんの見た目について、深雪さんがどのように思っているのかが書かれています。
達也さんの見た目に言及しているのが九校戦編なので、こちらに追加。入学編以降に読んでもいいかもしれません。

横浜争乱編

魔法科SSシリーズ - 2. 一番大切なひと
入学編の後に読むのもいいけど、司波兄妹の素性と達也さんが「劣等生」と称される事情がネタバレに引っかかるかも。気になる人はここまで読んだ後に。

追憶編

魔法科SSシリーズ - 「私もブラザー・コンプレックスなんです」「え……?」
魔法科SSシリーズ - 押しの強い妹【深雪×達也】
深雪さんが、お兄様への愛を認めるようになるまでを描いた追憶編を読んだあとは、中学生の頃の深雪さんのお話をぜひ。時系列としては、ちょうど追憶編後から入学編にあたるかと。
追憶編読んだ後は、こちらだけでなく上で紹介した4本を読み直すのもありだと思います。
魔法科SSシリーズ - 私への嫉妬【真夜×深夜】
そして、文庫版についている短編「アンタッチャブル―西暦二〇一六年の悪夢―」に感じ入るところがあった人は、ぜひこちらも。四葉当主・四葉真夜と、その姉であり司波兄妹の母・深夜の艶ある話です。

来訪者編

魔法科SSシリーズ - 深雪「リーナ! 夜のお勤めでは、ちゃんとお兄様を満足させているのでしょうね?」リーナ「……」
魔法科SSシリーズ - 好かれると可愛い【深雪×リーナ】
来訪者編に出てくるアンジェリーナ・クドウ・シールズ、通称・リーナと深雪さんの話。こちらは、劇中数年後の設定だそう。

ダブルセブン編

魔法科SSシリーズ - 5. 本当は冗談じゃないと思う
2年度編のクラス替えなどのネタバレあり。気にならなければ、『入学編』以降読めるかと思いますが、ほのかが好きな人は、『来訪者編』まで読んだあとに。

メインの深雪さんと達也さんをめぐる関係についてのSS紹介は、こちらの記事が詳しく書かれています。
続・『魔法科高校の劣等生』の司波達也・深雪兄妹の異常性について(原作小説最新巻まで既読のファン向け) - 【蝸牛の翅(かたつむりのつばさ)】

なので、今回はこちらのSSを紹介。
魔法科SSシリーズ - 深雪「リーナ! 夜のお勤めでは、ちゃんとお兄様を満足させているのでしょうね?」リーナ「……」
魔法科SSシリーズ - 好かれると可愛い【深雪×リーナ】
深雪さんとリーナの関係について、書いていこうかと。未読の方のために、ネタバレはなるべく伏せてあります。

深雪さんといえば、最強魔法師にして、魔法科屈指の美人ヒロイン。しかし、それゆえに、彼女と張り合える魔法力や美貌を持ち合わせた同年代の女の子はいなかったんですよね。ほのかや雫のような突出した魔法力に優れた子や、エリカのような魔法での実践に優れた子はいるのですが、総合力でいえば、深雪さんがひとり勝ちの状態でした。

そこに彼女のライバルとして登場するのが、一校に留学してきたアンジェリーナ・クドウ・シリウスです。彼女は、深雪さんが特に得意としている魔法コントロール力でも、引けを取らない魔法力を持っています。その上、リーナは、その魔法力だけでなく、美貌さえも深雪さんに匹敵しているんですよね。
そんな完璧な美貌と卓越した魔法力を持ち合わせるリーナの最大の魅力は、その実力とは裏腹な(?)「チョロさ」。素直で顔に出やすく、達也さんや深雪さんに良いように扱われてしまうんですよね。彼女の来歴からすれば、それなりに修羅場をくぐってきてはいるはずなのですが、達也と深雪さんの前では、年相応のスクールガールに。兄妹に対して、魔法力では決して引けは取っていないのですが、その真っ直ぐで義理堅い性格でいいようにされてしまう。

魔法の実力は拮抗している二人ですが、普段のやりとりとなると深雪さんの方が余裕あるんですよね。最後の方のからかい方とか、かなり手馴れているんですよね。短い期間しか一緒にいないのに。それこそ、半年以上一緒にいるエリカやほのかと同じぐらいの気安さがある。これは、お互いをライバルと認められるほどの力量を持っているからなのかなと。

あるシーンで、達也さんはリーナに、「何かあれば力を貸す」というような声をかけています。自分と似た境遇だからという以上に、同じ境遇にいるにもかかわらず、自分のような強かさを身に着けられない不器用なところやその性格を買ってのものだと思うんですよね。

それは深雪さんも同じで、素直にリーナを認めて、兄の手を取ってほしいと願っているわけで。深雪さんって、真由美や摩利のような自分と違う色気やかわいらしさを持った女性が兄に近づくと嫉妬心を見せますが、自分と同じぐらいの美しさを誇るリーナにはあまり嫉妬している様子が見られない。
リーナを対等なライバルとして見ているからこそで、リーナのことを懐に入れてしまっていることが伺える。自分と重ね合わせて見ているかもしれないですね。それこそ、「鏡を見ているような」、それでいて、「兄を見ているような」。

兄の同じ境遇にいる者への気遣いと、妹の兄とライバルへの執着心と好意を増幅させたのが上に紹介したSSです。なので、リーナ好きで、SS前書きにある注意が気にならない方にはとてもオススメです。
正直、魔法科で一番美味しい組み合わせって達也さん×深雪さん×リーナだと思うんだ。

というわけで、簡単な形ではありますが、深雪さんとリーナについての紹介でした。

『魔法科』の魔法解説も読みごたえあるので、手を出し始めたばかりの方や原作既読者の原作理解を深めるのにオススメです。
「たぶん詳しくわかる魔法科高校の魔法解説(仮)」/「魔法科SS」の小説 [pixiv]
「たぶん詳しくわかる魔法科高校の魔法解説 2」/「魔法科SS」の小説 [pixiv]

今回紹介したSSは、原作補完としても読めるものがとても多く、『魔法科高校の劣等生』原作小説ファンとしては、毎回とても楽しく読ませていただいています。こういう視点もあるのかー!と納得させられることも多々あります。本当にオススメ。
今後の更新もとても楽しみです。